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零人-4

 電車が『天海稲荷駅』へ到着すると、零人は人込みを掻き分けホームに降りる。
 帰宅客でごった返す駅には蛍光灯のランプが燈され、その明かりの届かぬ辺りは、既に夜が昼に取って代わろうとしていた。
 もう、そんな時間か?
 零人はアナログとデジタルのダブル表示の腕時計を見て、アナログが五時三十五分辺りを指し、デジタルが五時四十三分を表示している事を確認すると、続いてポケットの携帯電話を探る。
 デザイン重視で購入した腕時計は昭和の時代のハイテク時計だ。それ故に平成の時間感覚に追い付かないのか、時間がすぐ狂う。今回みたいな場合は間を取って五時三十九分と考えれば良いかもしれないが、零人は必ず腕時計と併用し携帯電話で時刻を確認する様にしている。
 それは一見、二度手間の様にも思える・・・と言うか、明らかな二度手間だ。しかし、それはそういう腕時計を愛好する己の宿命だし、何よりそうする事により腕時計の時間の狂いをこまめに確認修正する事が出来て一石二鳥だ。等と本末転倒な事を本気で零人は考えている。

 「あれ?」零人が眉をしかめる。
 いつもズボンの尻ポケットに詰め込まれている携帯電話がない。
 鞄の類を一切持たない零人は、再度ポケットを探る。ズボンにジャケットにシャツ、全てを確認したが、やはり携帯電話はなかった。
 何処かに落とした?
 では、今日一日自分は何時何処で携帯電話を使ったか?
 が、それは思い出す迄もない。昼前に是々絵利衣から掛かって来た電話に出た一度のみだった。
 そうすると、外で落としたのではなく、家に忘れて来た可能性の方が高い。
 しかし、まぁ、それはどちらでも良い。別にさして大切な物でもない。外で落としたのならまた新しいのを買えば良いし、家に忘れて来たのならそれはそれで何の問題もない。今は唯正確な時間が知りたいだけなのだ。
 と、零人は駅構内の壁時計を見る。
 五時四十五分。
 誤差、アナログ十分程、デジタル二分程。
 致命的な誤差ではない。
 それにしても、本当はもう少し早く帰り着く予定だった・・・。
 予定外に電車を乗り違え、車内で物思いに耽り、ついつい帰宅が遅くなった。
 もう三十分早ければ、この欝陶しい人塵、否、人込みに巻き込まれずにすんだのに・・・。
 零人は人の流れを避けてホームの端に寄り、我先にと改札に向かう人々を眺め駅構内が空くのを待つ。頃合いを見て改札を抜け、駅に一つしかない出口を通り表へ出る。目の前に鳥居を模した『天海稲荷商店街』の古びた看板が見える。
 この商店街のはずれにある『赤尾煙草店』、その二階に零人の間借りしている部屋があるのだ。

 商店と民家が混ざり並ぶ商店街を歩くと、あちらこちらから「零人君、おかえり」や「零人、晩飯は決まってるのかい?」や「よ、零人ちゃん、肉安くするよ」等と名指しの声が聞こえる。
 少し煩わしいが、商店街の一店舗である赤尾煙草店の二階に暮らす零人は、一応世間的にはこの商店街の一員である。赤尾煙草店の評判を落とすのも如何かと、零人は仕方なくその一々に軽い会釈で答える。
 やはり、この時間の帰宅は苦手だ。
 いい加減、零人が会釈にもウンザリし始めると、何処からともなく「おーぅい!零!おーぅい!零!」と、一際大きな声が聞こえてくる。
 声の主が誰かは分かっている。『零』なんて呼び名で零人を呼ぶ人間はこの商店街に、いや、正確にはこの世に一人しかいない。
 その人は「おーい、やいよい、零やいよい」と、奇妙な節で歌う様に商店街を歩き零人に近づいて来た。
 上下揃いの小豆色のジャージに、紫色の髪を結わいた古風な日本髪の老婆。赤尾煙草店店主であり零人の大家である赤尾マスである。

 マスは書き損じてクシャクシャに丸められた便箋程に皺くちゃの顔をツイと突き出し「零やい、今晩のおこんはバーグとロッケどっちを好むか?」と聞いて来た。
 マスは時々、独自の短縮語を使って話す。『おこん』は献立『バーグ』はハンバーグ『ロッケ』はコロッケである。
「どっちでも良いよ」
「どっちでも良いが一番困る」
「じゃあ、両方」
「なら、カレイラにするかいの・・・」
 ちなみにカレイラはカレーライス。
「カレーって。ハンバーグでも、コロッケでもねぇじゃん」
「じゃあ、バーグカレイラとロッケカレイラのどっちを好む?」
「いや、だから、どっちでも良いよ」
「いや、だから、どっちでも良いが一番困る」
 いつもの不毛なやり取り。零人はいつだって「どっちでも」と答え、マスはいつでも選択肢通りの献立を作らない。
 無限地獄に陥る前に「じゃ、先に帰ってるから」と、零人は会話を断ち切りマスと別れる。
 別れ際、マスが「ほい、零、これ」と、携帯電話を差し出した。
 それは、零人のなくしていた携帯電話。
「忘れとったぞ。何回か鳴っとった。零、こりゃ携帯せにゃただの電話ぞ」
「知ってるよ。で、誰から電話?」
「知らん、おそらくオンじゃ」
「女って、出たの?」
「うんにゃ、私ゃこーゆーボタンだらけの物は嫌いでね。だからジャージ」
「じゃあ、何で女って分かるの?」
「勘」
「つか、勝手に人の携帯持ち歩くなよ」
「じゃから、携帯せにゃ、唯の電話じゃ」
「使い方も知らねえ癖に何で勝手に持ち歩くの」
「お前が携帯せんからじゃろ」
 これ又、不毛な会話。
 零人は携帯電話を受け取ると、今度こそマスと別れ赤尾煙草店への道を歩いた。

 無人の赤尾煙草店のカウンターに出された、マス直筆の『隣接の自動販売機にておもとめください』と書かれた不在札を横目に、零人は煙草屋脇の階段を登り、所々に赤錆の浮く古びた鉄扉のノブに手を掛ける。
 表札代わりに貼付けた『チョコレート探偵事務所』のテプラシールは、黄ばんで文字も掠れ、その機能を殆ど果たしてはいない。
 ふと、零人がドアノブから手を離す。
 声?
 ドアの奥から何か聞こえた気がした。
 誰かが部屋にいる気配がする。
 零人は、そっと一歩後退り、足音を立てぬ様に階段を降りた。
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