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千夜子-20

 仲村由里音の家を前にして「あれ?」私は違和感を覚える。
 外壁も門扉も見上げた屋根も、外観には何ら変わりはないけど、どこか以前とは違った雰囲気/威圧感を感じる。
 でもその感覚は拒絶よりか歓迎、とまではいかなくとも好意的に私を迎えているようであって、でもやっぱり底辺からもや~っとした恐怖心が立ち上ってくるようで私は確信する。
 やっぱりここなんだ。
 蒼井琴璃は半開きの門扉を開けて入っていく。その制服の背中に向けて意外な言葉が私の口をつく。
「…ごめんね」
「はい?」とドアの前で琴璃が振り返る。「何か言いました?」
 私は頭を振って「あ、いや、何でもない」と応えるけど分からない。何で謝ってんの。何が、どう「ごめんね」だというんだろう。
「行きますよ」
 玄関に鍵はかかっていないらしく蒼井琴璃は玄関を開け、家の中に入っていくので私も続く。
 邸内に入るとなぜか足がすくんだ。この違和感は何だ。周りを見渡しても別段変わったところがあるわけでもない。
「何ぼ~っとしてんですか?」
 見ると蒼井琴璃はすでに階段を二階近くまで上がっている。私を見下ろす少女は黒のローファーを履いたままだ。
「あ、靴」
「いいんですよ、これは」と平然と言い放つ。「そんなことより私たちはぼ~っとなんてしてらんないんです。時間なんて『ぼ~っ』としてるうちにその『ぼ~っ』を倍速で追い越して、その倍速の『ぼ~っ』のことを考えているうちにさらに倍速で時間は私たちを置き去りにしていくんです。何を躊躇ってんですか?千夜子さんがぼ~っとしてるうちに四、五カ月なんて一瞬に過ぎていくんですよ」
 何それ?全然分かんないんだけど。
「千夜子さんが一歩目を踏み出すか踏み出すまいかってしてる間にあらゆる事象は千夜子さんを追い越しちゃうんです、っていうかもう追い越されてるし、なんなのもう!」
 なんなのもう!はこっちの台詞だ。
「あ~じれったい!今何月か分かってんですか?」
 …はい?
「二月ですよ」
 …え?十月じゃないの?
「だ~か~らっ!分かんないかなぁ。ここは二月なんですよ、千夜子さんの知っている、あの二月なんです!」
 私はそこでようやく口を開く。
「…あなたは一体誰なの?」
「私は蒼井琴璃、名前のまんまの青い小鳥、千夜子さんが幸せか幸せじゃないのかどう感じるか分かんないけど、私にはそんなこと知ったこっちゃないけど、私はあなたを導いてあげるの、そういう役割」
 そう言うといきなり蒼井琴璃のスカートの中から大量の鮮血が噴き出し、バランスを崩した琴璃は階段を転げ落ちて来るけど血まみれなんて気にしない顔で悔しそうに呟く。
「やべえ、思ったより時間ないじゃん、何だよも~~~!」と琴璃は私の手を掴んで引っ張る。「早く!」
 ようやく私の体は動き出す。靴を脱ごうとすると琴璃に「だから靴はいいんだって!」と急かされる。
 何があったの?
 何で怪我してんの?
 ひょっとして蒼井琴璃ちゃんもすでに犯人に襲われたってわけ?
 それを隠してまで私を待っていたってわけ?
 私を導くために。
 どこに?
「考えてる時間なんて本当ないんだから、くそっ!痛えし!もうちょいなんだからね、がんばれ私!」
 鮮血を垂れ流しながら階段を上る蒼井琴璃に気圧され、私も靴のままガシガシと赤濡れた階段を琴璃に続く。
 琴璃はそのまま階段を三階まで進んだ。琴璃から流れる赤が一段一段と血溜まりを作り出している。私はそれを目で追いながら一歩一歩足を繰り出す。まるでヘンゼルが落とした白い小石を頼りに家路に着いたように。時折明かりを反射する血溜まりを見ながらそんなことを思う。
 これが童話ヘンゼルとグレーテルなら私の行き着く先にあるのは魔女の住むお菓子の家だ。
 でもここにはヘンゼルがいない。
 グレーテルはたった一人で魔女にどう対峙したらいいのかな。

 考えるな。
 置いて行かれる。
 そんなの、嫌だ。

 そうして私は三階にたどり着く。
 すると蒼井琴璃は糸が切れたようにすとんとその場にへたり込んだ。
「琴璃ちゃん!大丈夫?」
 琴璃は私に応えず虚ろな目で一点を見つめている。
 その視線の先にあるのは仲村由里音の部屋のドア。
 やっぱりそうなんだ。
「ここ?」
 肯定とも否定とも取れない無表情で私をみつめる琴璃の口元が微かに動く。
「…ぁ、…ぁん…」
「何?」
 私はその小さな唇に耳を寄せる。

「…ハッピーバレンタイン」

 そう言うと蒼井琴璃は今度は力強くにっこりと笑った。
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