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千夜子-17

 古びたドアの先は赤尾マスの家の台所だ。見慣れた光景と一緒に強烈なチョコレートの臭気が鼻孔から私に流れ込んでくる。テーブルに置かれた青色のエコバッグからは野菜や牛乳、魚の切り身が顔を出している。そのエコバッグは私がプレゼントした物で、赤尾のばあちゃんは買い物に行く度にわざわざそのエコバッグを手に「これ持ってくだけでポイントがもらえんだよ、もうけもうけ」と笑うのだ。
 赤尾マスの名前を呼ぼうとしても声は出ず、足がすくんで動くことが出来ない。
 そうだ。
 私はこの先を知っている。だから何も出来ない、ではなく何もしないのだ。
 この先にある光景は……。
 ここは私の記憶の宮殿。私の記憶で構築された世界。私の足がすくむのは己の記憶をなぞることを、追認することを拒んでいるからだ。
 人間の記憶ってどうして厭な記憶ほど鮮明に残ってしまうんだろう。忘れてしまいたいのにご丁寧にこんな部屋までこしらえて保存しているなんて。こんな光景は記憶の彼方に追いやってしまいたいのに……あ、ここが記憶の彼方なのか。ここは記憶の宮殿の奥の奥のさらに奥にある部屋なのかもしれない。
 記憶の彼方に追いやられた部屋。追憶すること自体を拒絶する部屋。
 でも、私は思い出す。こみ上げる吐き気と同時に記憶が、鮮明なビジュアルを伴って、まるで他の記憶を掻き消すように私の中に溢れてくる。私の内側から甘い匂いと共に私を塗り込めてくる。
 台所の先、ガラス戸の向こうにある居間には変わり果てた赤尾マスの姿がある。めっためたに切り刻まれて、ココアパウダーやら砂糖やらをまぶされて成形された赤尾マスだった四角い物体がそこにある。
 チョコレート。
「来るな!」
 ガラス戸の向こうから声がする。オレンジ色の灯がガラス戸に揺れている。ストーブの暖気は台所にまで伝わってくる。
 私は私の中でその光景を、事実を、記憶を遮断していた。そうして私は赤尾煙草店の留守番をしていたのだ。赤尾マスはただ留守にしていたんじゃない。赤尾マスはすでにいなかった。私は赤尾のばあちゃんのいない赤尾煙草店で、ただ店頭に座って空を眺めていたのだ。これが嘘だったらいいのに。どこからか『ドッキリ』のプラカードを持ったおじさんが入ってくればいいのに。ふうわり流れる雲を眺めながら私は、過ぎゆく時間を眺めていたのだ。
「来るな!来ちゃだめだ!」
 声は大きくなって私の欠けた小指がそれに呼応するように熱を帯びる。
 その声は私に促しているんだ。早くこっちに来い。この有り様を、見ろ。
 足はすんなり動いた。私は流し台に向かい、棚から包丁を抜き出そうとしてやめる。そして流しの脇に立てかけられた金属バットに手をかける。料理中に強盗が忍び込んだ時に役に立つ。ピンポイントに配置された赤尾のばあちゃんの防衛策。ボールを打ったことなんて一度もない金属バットを手に取る。
 私は私の記憶と対峙する。この先に全ての鍵がある。荼吉尼様の部屋で踏み潰された零人は言っていた。
「君は君自身の記憶の中で『入り口』を見つけるんだ」
 それが《お菓子の家》の入り口なのか、それとも仲村由里音を見つけ出すための糸口なのか、そうでない何かなのか。この先にあるのは真実なのか。セバスチャン・スピーカー卿が作り出した記憶なのかもしれない。あいつは何らかの方法で私の記憶の中に入り込んでいるんだから。
 でもそんなことはどうでもいい。
 私は何を見たのか。
 私は、何をしたのか。
 全ての答えはこの先にある。全てがぐちゃぐちゃにこんがらがり過ぎている。余計な思考が増え過ぎている。
 目の前の一つ一つをタイムリーに片付けないとならない。
 シンプルにいく。
 ガラス戸の向こうに人影が確認出来る。近い。私は金属バットを頭の上に構える。
 かっとばせ、千夜子。
 右手でガラス戸を開く。
 かっとば、せいっ!
 一気にバットを振り下ろす。
 鈍い音。目の前にいたのは顔が真っ黒で中心に向かってぐるぐると渦巻きが出来ている。渦巻き男はとっさに出した左腕でバットを受け止めていた。弾ける腕時計がゆっくりと見える。
「お前、何てことしてんだよ」
 渦巻き男は言う。
 これが、誰なんだっけ?
 記憶はいつだって都合良く曖昧だ。
 私は再度振りかぶり、躊躇わずに二発目を渦巻き男ね頭に叩き込む。
 炸裂。渦巻き男の脳天から亀裂が走るとその姿はキラキラと弾け飛んだ。
 残ったのは割れた姿見だ。ひび割れた隙間に映るのは、血まみれた、それは私だ。
 私は金属バットで鏡を全て叩き割る。その先に暗闇が広がる。
 入り口は見つけた。

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零人-16

「パッチ物でありんす?」
 零人は、自分と応接机を挟み向かい合うセバスチャンスピーカー卿を名乗る女との距離を目測し、その間合いが己の安全圏である事を確認すると、それでも多少の警戒は怠らずに、頭に浮かんだ言葉を口に出す。
 女は顔を微かに曇らせ、少し首を横に傾ける。
 その表情や仕種から、彼女の頭の中に浮かぶ『?』マークを読み取り、零人はもう一度、今度はハッキリゆっくりと、彼女が聞き取り易い様に「パッチ物で、ありんす」と言う。
 ・・・。
 一時の沈黙。
 女はやはり『?』マークの表情で先程よりも、もう少し深く首を傾げている。
 もう一度同じ言葉を繰り返そうか・・・。
 零人がそう思案していると、女の顔が一瞬『あっ』という表情に変わり、その表情のまま「あっ、違います。八文字です。漢数字の八に文字で八文字」と言い、その言葉の後に軽く困った様な笑いを付け足す。
 零人は「はぁ」と、曖昧な返事をして「いや、ですから、パッチ物でしょ?」と、女を真似た軽い困った様な笑いを付け足して返す。
 八文字の顔の一部、右頬辺りに小さく、でも確実な苛立ちが浮かぶ。彼女は、今度は逆に先程の零人を真似る様にハッキリゆっくりと言う。
「ですから、私の名前は、漢数字の八に文字で八文字。はちもんじありす、です」
「知ってますよ。ちゃんと聞こえてましたから」
「だったら・・・」
 八文字の苛立ちが、右頬から顔中に広がって行くのを確認しながら、零人は八文字の言葉を遮る様に「だから、パッチ物でしょ?」と繰り返す。
「・・・どういう意味ですか?」と、問う八文字は、今にも飛び掛かり首筋にでも喰らい付いてきそうな目付き。
「パッチ物って言うのは、偽物って意味ですよ。ありんす、は・・・京都弁でしたっけ?」
 答える零人は警戒してはいるが、その表情はむしろ余裕。
 大丈夫、ここは安全圏。この位置なら応接机が邪魔をして彼女の手も足も俺には届かない。仮に彼女が、二人の間の応接机を見事な跳躍で飛び越え襲い掛かって来ても、それを回避する位の反射神経なら常備している。飛び道具等の武器も見た所、所持はしていない様だし。隠し持つといっても、今現在の彼女の服は、それに最も不向きに思える。
「その位は知ってます。私が聞いたのは、何がどうパッチ物・・・つまり偽物か?という事です」
 駄目だこりゃ・・・。
 零人は溜息を一つ吐く。
「言っても分からないですよ。と言うか、今のアナタには理解できないと思いますから、その話は止めましょう」
「話してみて下さい。聞いてみないと分からないじゃないですか」
「分かりますって」
「あの、私、アナタが思っている程には取り乱していませんから。私は至って平静です」
 八文字がゆっくりと姿勢を後方に倒し、背もたれに体重を預ける。それが彼女の平静の意志表示なのだろう。
「だからですよ。今の状況が平気なアナタには、絶対に理解出来ませんから。ですから今は取り敢えずアナタに理解出来る話からしましょう」
「・・・」
 重心を背もたれに預けたままの姿勢で、腕を組み零人を見据える八文字に「いずれ・・・この会話の終わり頃には、きちんと理解出来ると思いますから。ね。今話しても気を悪くするだけですよ」と零人は言い、自分も八文字に倣い、背もたれに体重を預ける。
 今度は八文字が溜息を付く。その表情は、諦めや苛立ちや困惑がバランス良く混ざり合い、妙に色っぽい。が、やはりその顔は歴史の教科書の最初の方に出て来る原人そのものだから困り者である。
「今でも十分に気を悪くしてるんですけどね・・・」
 零人は、八文字のその言葉を了解の意と解釈「では・・・」と、姿勢を正す。
「先ず聞きます。アナタは何故、俺をここに連れて来たのですか?」
「招待状、届きましたでしょ」
「ええ」
「それは理由になりません?」
「ああ・・・じゃあ、何でアナタは俺に招待状を出したんですか?」
 零人は質問を換える。
「招待文を同封しておいた筈ですよ」
「はい、確かに」
「読まれたんですよね?」
「ええ、空で覚える位」
「で、その質問ですか?」
「それもそうですね。あっ、所で、あの文はアナタが書かれたんですか?」
「ええ」
「ちゃんと読み直しました?」
「何か?」
「誤字脱字・・・あれは、手書きじゃなくワープロ書きですから、変換ミスとか・・・」
「あら、何かそういった誤植の類でも見付けましたか?」
「あっ、ちなみに、ここは何処ですか?」
 八文字は零人の唐突な会話の方向転換に虚を突かれ戸惑う、が、即座に立て直し「住所はちょっと、答え兼ねますね・・・で、何か誤植でも?」と、話を戻す。
「いえ、特に漢字や文法には問題はなかったと思いますよ。と言って、俺は国語の先生ではないので、何とも言い難いですが。読むのに不便のある文ではありませんでしたね」
「それは善かった。私、ああいった物を書くのは初めてでして。どうにも勝手が掴めずに不安だったんですよ」
「ああ、そうなんですか・・・所で、ここは何処・・・」
「先程も言いましたが、住所は・・・」
 八文字は零人の質問を予測していたと言わんばかりに、質問を遮り答える。が、零人は逆にその答えの終わらぬ内に「いや、違いますよ。俺が言ってるのは、そうじゃなくて、住所とかじゃなくて。ここ、ここは何処か?何て場所か?を聞いているんですよ」
 と足元を指差し、効果的に、意識をして、少し声のトーンを上げる。
 その効果の程は目に見えない耳に聞こえない程だが、二人の間に流れる空気で確かに分かる。
 今、僅かに、形勢が零人に傾いた。
 それを機に零人はもう少し声のトーンを上げ、もう一度問う。
「ねぇ、ここは何て場所なんですか?」
 八文字が答える。
「ここは・・・お菓子の家です」
「ここが?ここがお菓子の家?クッキーもビスケットも何処にもないのに、ここがお菓子の家ですか?俺には、せいぜい、とある雑居ビルの一室にしか見えませんがね」
 零人はそう言うと、ドンと応接机を叩き、立ち上がる。そして、声高に、朗々と、空で覚えている招待文を朗読する。
 何かの宣誓の様な口調で・・・。
 

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