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零人-10

 部屋中に立ち込める甘い匂い。
 その匂いは今まで一度も嗅いだ事のない匂いの様で、凄く当たり前に、常日頃から嗅いでいる匂いの様でもある。
 元々鼻の利く方ではない零人に、この匂いの正体を嗅覚のみで探り当てろというのは無茶な話だが。それでも零人にとって、いや、零人に限らず、かなりの割合の人にとって、この匂いが不快な種類のモノである事や、その匂いがどうやら一階から伝わって来ている様だという事位は容易に判断できた。

 事務所の奥まった所にある階段を降りると、一階の廊下は酷く暗い。零人は階段脇のスイッチで廊下の照明を燈し、その光に目を細める。
 電球を新しい物に取り替えたのか、やたらに眩しい。
 しかし赤尾の婆さん、いつの間に自分で電球の取り替えが出来る様になったのだろうか、懐中電灯の電池ですら自分で替えれない婆が…。
 少しの間、目を閉じたり開いたりを繰り返し、その明かりに目を慣らしてから零人は廊下を進んだ。
 先ず右手に風呂、左手にトイレ、どちらも消灯され、中は無人で異常無し。
 と、いうか……。
 零人はふと思う。
 赤尾の婆さんはどうしたのだろう?確か、俺が襲われる少し前に帰宅した様な気がするが……いや、その前に今何時だ?俺は一体どの位気絶していた?
 零人は左手首に目をやる。
 そこにはガラスが砕け、アナログの針が紛失し、デジタル画面に皹の入った腕時計。と言うより銀色のパンキッシュなリストバンドと言った方が正しい品物が巻き付けられていた。
「ああ…」零人は小さく声を出して、思い出す。
 そうだ。あの時、あの影人間のバットが俺の顔面に向かって飛んで来た時、俺は咄嗟に左手でバットを受けたんだ。金属バットの攻撃を生身で受けて無事でいれる程、俺の体は頑丈に出来てはいない。だとすると…。
「はぁ…」
 溜息。
 この様子では、確実に腕時計の修復は不可能だ。とは言え、己の身代わりに大破した腕時計、そのまま捨ててしまうのはさすがに薄情に過ぎる。
 零人は腕時計を手首から外し、ジャケットのポケットに突っ込む。
 続いて零人はズボンの尻ポケットに手を入れる。
 腕時計が壊れたのなら、携帯電話で時間は調べれば良い。元々、時間の正確さに関しては、腕時計よりも携帯電話の方が数段上なのだ。
「痛っ」と、零人は尻ポケットに入れた手を慌てて抜く。
 何か尖った物が指先に触れた。
 零人はもう一度ゆっくり慎重にポケットに手を入れ、中を探る。
 そして、その尖りの正体を引っ張り出す。
 砕けた携帯電話。
「……」
 その携帯電話が死んでしまっている事は一目で判る。携帯電話はその位に砕けていた。
 尻を攻撃された記憶はない。だとすると、ソファーから転げ落ちて尻餅を搗いた時に潰して砕いてしまったのか……まったく、脆いもんだ……。
 零人は時刻確認を諦めて、その砕けた携帯電話を廊下に放り捨てる。腕時計と違い、その携帯電話にはたいした未練も情もない。その中に記録されていたであろう幾つかの情報も、どうせこの状態では引き出せやしないだろうし…。

 蛍光灯一本で事足りる程度の長さの廊下には、戸は残り二つ。
 一つは煙草屋のカウンターへ、もう一つは台所へ続いている。
 零人は先に台所の戸を開ける。
 順番に理由はない、近い順だ。
 と、ムアッと異常に生暖かい空気が室内から吹き出して来る。
 その生暖かい空気のせいか、匂いは益々酷い。指で塞いだ鼻孔の隙間や、呼吸の為に開いた口からでも強引に侵入してきて、無理矢理に零人の嗅覚を刺激してくる。
 一瞬躊躇い、台所に入る。照明を燈しぐるりと辺りを見回す。目に付いた物は、テーブルの上の買物袋。赤尾マスお気に入りのエコバックだ。
 零人は指先を引っ掛ける様にして袋の口を開き中を覗き込む。
 パック包装の魚の切り身、牛乳、野菜、ロックアイス等など。一般的な食材が数点見える。
 思い切って袋をひっくり返し中身をテーブルに広げてみたが、取り立てて特筆すべき物は見当たらない。
 しかし一体何時間放置されていたのか、野菜も魚も茶色く変色し、ロックアイスに至っては完全に溶けてただの水になっている。
 零人は取り敢えず、その食材はテーブルに放置し、台所から居間に通じる襖を開く。
 この居間は、台所と煙草屋のカウンターを繋ぐ場所にあり、廊下からは入れない。
 ゴリ…ギュギュギュ…と奇妙な、何と無く背筋が寒くなりそうな感触と軽い抵抗。
 襖を開け放す。
 カタカタとエアコンが微動しながら、熱風を吹き出している。
 いつもは店先に置かれている筈の石油ストーブが持ち込まれ、ゴウゴウと赤く燃えている。
 この生暖かさ、いや、むしろ暑さの原因は一目瞭然。そして、恐らくこの匂いの発生源も…。
 居間は台所から漏れる明かりと、ストーブの赤い炎の中で、尚まだ暗い…いや、黒い。
 零人は居間へ入る。
 ザリッとした足触り。
 ヌルッとした足触り。
 それらが合わさった、ザルッとした足触り。
 居間の真ん中にはちゃぶ台があり、その真上に蛍光灯がある。零人はそのスイッチの紐を引く。
 チカチカ…数度、蛍光灯が瞬き、室内が照らされる。
 室内は……黒。ではなく。良く見ると、焦げ茶に斑な白。
 その状況を零人は一瞬理解出来なかった。
 が、それは一瞬の事で、次の瞬間には、それがちゃぶ台に積まれた、特徴的な色の頭髪とジャージで分かる赤尾マスの挽き肉死体と、部屋一面に広がる血、そして部屋中に撒かれた白い粉、という事を理解した。
 零人はゆっくりしゃがみ、正直不本意だが、指先でその血と白い粉に触れる。で、それが何か見当を付ける。
 砂糖…?
 それと、それより細かい別の白い粉、血に溶けてマーブル模様を描いている…粉乳?
 赤尾マスと砂糖と粉乳…。
 
「おうっ」
 零人は慌てて口を塞ぎ居間を駆け出し、台所の流しに飛び付いた。
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千夜子-10

 しちし。
 発光する白い画面上に浮かぶ三つのひらがな。
 鬱蒼とした森=仄暗い由里音の部屋にへたり込んで、私はただその柔らかな曲線で構成された文字を眺めている。
 そして〈DAD〉=〈父親〉であるという安直過ぎる導きを疑ってみる。他に意味はないだろうか。〈しちし〉をそのまま〈74〉という数字に置き換えることも出来るけど、赤穂浪士は四十七人だしアリババの仲間もそんなに大勢いなかった。七月四日ならアメリカの独立記念日だけど、じゃあアメリカ大統領が犯人ですってことにはならない。
 この思考展開は無意味っぽい。思考の分散は判断力を鈍らせる。
 やはり〈しちし〉は〈DAD〉と読み解くのだ。それが流れだし、っていうかそう考えて進むしかないんだよ、ゴー、チヨコ、ゴー。
 とりあえず〈しちし〉=〈DAD〉で決定。そうなるとこれはやはり〈DAD〉=〈父親〉=〈仲村由基雄〉を示していると考えるのが妥当だ。つまり仲村由基雄は仲村由里音失踪に何らかの関与をしている。仮定を確定した仮定として進める。未成年の行方不明にその親が関わっている件は少なくない。どこかの国では自分の娘を二十数年監禁し、自らの子供(孫?)を何人も産ませていたというケースだってある。そんなの最悪なんだけど、常に最悪の事態を想定しておく必要はある。
 つまり、仲村由基雄によって由里音は監禁状態にある、という仮定。
 だとすると由里音捜索のために自宅に押し掛けた私たちは飛んで火にいる秋のボーイズ&ガールズで、仲村由基雄は私達を分断して先ず雀尊を襲い、次に私をこの部屋に閉じ込め、いずれ始末するつもりなのだ。
 いや、それは違う。
 仲村由基雄自身が犯人だとして、由里音の捜索を探偵事務所に依頼するメリットがあるだろうか。警察に捜索願いを出せばそれで済むはずだ。私たちがここに来ることくらい予測がつくわけだし、わざわざそんなリスクを冒す必要なんてない。
 腑に落ちない。まったく落ちてこない。
 〈GRIMM〉という言葉の次に提示されたのは〈DAD〉という言葉。グリム、そして、父親。
 グリム童話において〈父親〉というファクトはあまり重要視されていない気がする。グリム童話の悪役といえば大抵が母親、しかも圧倒的に継母が多い。白雪姫だって灰かぶり姫だって意地悪な継母にひどい目に遭わされるんだ。
 あれ?
 そういえば由里音の母親の姿がない。
 外出しているんだろうか。娘が失踪している状況でこんな時間まで家を空けるだろうか。夫一人を残して?
 それとも由里音の実の母親はすでに他界していて後妻である継母が夫の寵愛を一身に受けようと由里音を亡き者に?
 いや、すでに母親は由基雄の手によって命を奪われ……、ってノーーーーーーッ!やめやめやめ!
 なんだそれ?
 なんだ私それ?
 こんなの推理でも何でもない。戯れた頭の妄想だ。意味分かんない部屋に閉じ込められて意味分かんない言葉に悩んで頭の中こんがらがっちゃってるんだ、頭コンガラガールだ、答えなんか見つかるわけがない。
 いつのまにか私はまともな思考が出来なくなっている。
 私は零人のそれを真似て第一関節までしかない短い小指を口に含んでみる。ちうちうと吸うと私の味がする。私の皮膚と微かな血の味。ちうちうちうちう。私はそれをひと息に吸い上げる。ちうちうちうちう。息が詰まるまで吸い上げで、そこで大きく息をつく。
 それで私はきちんと私の中にすんと降りてくる。光が射す。リセット。
 あれこれ考えても仕方がない。
「とにかくこの部屋から出ないと」
 それが今の最優先事項だ。
 私はノートパソコンを探りコンセントを抜く。充電されているそれはすぐに消えることはない。私は液晶画面から漏れる光をライト代わりにして周囲を照らしてみる。
 森。
 私の目の前、斜めにせり上がった壁には先までずっと森が続いている。手を伸ばすとやはりそれは壁である。壁一面にトリックアートのような森が描かれている。うっかりすればそのまま吸い込まれていきそうな精巧な森がそこにはあった。
 他に何かないんだろうか。斜めになっている壁に気をつけながらゆっくりと立ち上がる。
 ドーン!
 静寂を打ち破ったのは凄まじい衝突音。
 続けざまに足先から脳天にかけて鈍痛が駆け抜ける。
「つうっ」
 私はノートパソコンを落としていた。忌々しくそれを足で払うとその場にかがみ込む。熱を持った激痛が足先で主張してくる。
 ドンッ!ドンドンッ!
 仲村由基雄だ。
 何か武器になる物はないか。とっさに床に手を這わせ、光を失ったノートパソコンを掴む。
 ドグーンッ!
 その音と共に扉は開かれる。
 逆光の中のシルエットが部屋に踏み込んでくる。
「千夜子さん!」
 雀尊の温かい手が私を掴む。

 
 

零人-9

 僕と千夜子はテーブルを挟み椅子に座り、僕達の前にはショートケーキが一つずつ置かれている。
 そのショートケーキに苺は乗っていない。それは最初に食べてしまった、とかそういう事ではなく。最初から苺の乗ってないショートケーキ。
 千夜子はそのショートケーキをフォークでグチャグチャに壊して弄んでいる。
「よせよ。食べ物を粗末にしたら母さんに叱られるぞ」と僕が言う。
 千夜子はキッと僕を睨んで「私、もうケーキ飽きた。毎日毎日ケーキケーキケーキ。揚句に苺も乗ってないんじゃ、ケーキの魅力も半減だわ」と言うと、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「ねぇ零人、そもそもこれは何?」千夜子がショートケーキを指差す。
「ショートケーキだよ」僕は答える。
「そうね、ショートケーキ。でも、それは百点じゃないわ。だってそうでしょ?ホイップクリームでスポンジを包んだだけのショートケーキがどこにあって?」
「・・・」
 僕は答えられない。目の前にあるだろう、と言いたい所だが、本心は僕だって千夜子と同じ気持ちなのだ。
「無言。それが答えさ、零人君。ふっ・・・君は本当は、とうの昔にその事に気付いていた」
 千夜子の口調が突然変わる。僕はちょっとの間戸惑い、後つい吹き出しそうになる。それは千夜子が、僕達二人が大好きな夕方のミステリードラマの探偵の真似をしている事に気付いたからだ。しかもおまけに、それが全然似てないのだ。
「・・・バレては仕方ない・・・そうだよ、千夜子君。僕は最初から全て知っていた」
 僕も千夜子に合わせ、その探偵の敵の怪人の口調を真似する。僕は密にその物真似に自信があったから、実はちょっとこういう機会を待っていたのだ。
 軽く身構え、口許に手をやり空想のパイプをふかす仕種の千夜子に対し、僕はすっくと椅子の上に立ち、空想のハットのツバに手をあてる。
「優秀な名探偵チョコレート。さすがの名推理だ!そう、私は知っていた。このショートケーキは、ホイップクリームでスポンジを包んだだけのショートケーキと見せ掛けて・・・その実、苺のショートケーキの苺抜きだという事を!」
「やはりそうだったか。ところで零人君、ここらで我々、紳士協定を結ばないかい?」
「紳士協定?」
「そうさ、二人で協力して、このショートケーキに乗るはずだった苺を見つけ出してはみないかね?」
「え・・・」
 僕は口篭る。
 僕達が食べるショートケーキに苺が乗っていないのは、ずっと昔からの決まり事なのだ。
「さぁ!行こう!」
 千夜子が僕を促す。
「えっ?あっ、ああ・・・」
 僕は益々、口篭ってしまう。
「さぁ!」
 千夜子がもう一度促す。
「あっ、えぇ、でも・・・」
 なおも口篭る僕に「零人、真面目、つまんない」と千夜子はプイと顔を背ける。
「だって・・・」
 僕は千夜子に苺探しをさせない様に母さんから言い遣っているんだ。そんな僕が千夜子と一緒に苺探しをする訳にはいかないのだ。
「ほーんと、零人、真面目」
 千夜子はそう言い捨てると、トタタタと部屋から出て行く。
 僕も千夜子を追い部屋を出る。そして、とても大きな銀色の扉のある、甘い香りの部屋に辿り着く。しかし、そこに千夜子の姿はなかった。
「千夜子!千夜子、何処?」
 僕が千夜子を呼ぶと「こっち、こっち」と小さく千夜子の声が聞こえる。
 千夜子の声の出所は直ぐに分かった。
 その大きな銀色の扉が少しだけ開いていて、その隙間からその声は聞こえて来ていた。
 僕は銀色の扉に近付き「千夜子、出てきなよ」と扉の中へ向け言う。
 すると扉の中から「零人も入ってきなよ」と声がする。
 その声は酷く反響して、何だか千夜子の声ではないみたいだった。
「駄目だよ千夜子。出てきなよ。母さんや父さんに叱られちゃうよ」
 この扉の中は凄く寒くて危ないから入ってはいけないと父さんや母さんにいつも言われていた。
「大丈夫よ。私、平気よ。零人って本当、真面目で臆病ね」
「叱られるのは僕なんだ!千夜子!」
 僕はつい声を張り上げてしまう。だって、いつも悪戯をするのは千夜子で叱られ打たれるのは僕。それを臆病とかって・・・。
 銀色の扉の隙間から千夜子の半身だけが出て来る。扉の中はやはり酷く寒いらしく千夜子の顔は紙の様に真っ白だ。
「この中に苺はなかったわ」
「だったら早くそこから出ようよ」
「でも、代わりはあったわ」
 千夜子はそう言うと鍋を一つ差し出した。
「何?」
「ジャムよ。他にも一杯あるわ。全部ママの手作り」
 千夜子はそう言うと、突然僕の頭にその鍋の中身をぶちまけた。それはドロドロで冷たくて甘酸っぱくて黄色かった。
「黄色いジャムだ」と僕が言うと、千夜子は「マーマレードよ。ママの手作りマーマレード。ママ、メイド、マーマレード」と言い、扉から飛び出し走り去った。
 僕は千夜子を追わなければと思った。けど、目に入ったマーマレードが直ぐに乾燥して固まってしまうから、僕は目を開けられない。目が開けられなければ千夜子を追えない。僕は慌てて目を擦り、瞼を接着させているマーマレードを剥がす。爪でカリカリと引っ掻いて・・・カリカリカリカリカリカリカリカリと・・・。

 零人は瞼に張り付いた目脂を一通り剥がし終えると、ゆっくりと目を開けた。
 しばしの混乱の後、零人は自分が何者かに襲われた事を思い出し、慌てて全身を調べる。
 手足、動く。呼吸、出来る。全身、特に痛む所もない。顔、多少の引き攣れを感る。
 零人がそっと顔を撫でてみると、パラパラと粉が床に落ちた・・・それは凝固した血液。ではなく、乾燥した涙や涎や鼻水・・・。
 体の何処にもそれらしい傷がない事は少し腑に落ちなくもない。が、それに越した事はない。
 それにしても・・・涙に涎に鼻水とは、えらい醜態を晒したものだ・・・。
 零人はその場に体を起こし辺りを見回す。
 状況確認を・・・と思っているが、まだ頭がぼやけて上手く確認できない。
 そのままボンヤリしながら零人は気付く。部屋中に立ち込める甘ったるい匂いに・・・。
 
 

千夜子-9

「何これ?」

 仲村由里音の部屋のドアを開けた先に広がっていたのはまさしく森だった。
 突然樹海の真ん中に放り出されたような感覚に戸惑いながら視線を上下左右に走らせる。視線の先、高い位置に丸く天窓がある。それが月のようにうっすら室内を照らし、幾重にも生い茂る木葉が浮かび上がる。それが辺り一面、包み込むように部屋中を覆っている。
 トンネルを抜けると雪国だった。じゃなくて部屋に入ると森だった。
 語呂の悪い川端康成を一人ごちてみる。けど実際『雪国』ってどんな話だっけ。冒頭の一文は有名でも内容まできちんと把握している人ってどれだけいるんだろう。私はもちろん知らない。きっと『雪国』は雪国大変ですみたいな話だろうし『伊豆の踊り子』は伊豆生まれのダンサーの話なんだろう。たとえそれが違ってたからってどうなるもんでもないし。
 って脱線しすぎ。
 目の前に広がった予想外の光景に思考が脱線している。
 何?このいきなりのエキセントリックは?
 また一人ごちて目の前に伸びた枝を掴んでみるとそれはゴム製で、葉の表面もつるつると所謂造花の類である。あ、この場合は造花じゃなくて造葉になるのか。
 ドアから射し込む明かりのせいもあってこの薄暗闇に目が慣れてくる。由里音の部屋はあらゆる家具、ベッドやら鉄製のシェルフやら至る所にイミテーションの蔦が絡まってこの六畳ほどの立方体の森が形成されているようだ。
 しかしまあ悪趣味な部屋だ。ガーデニングの域じゃないもの。そもそも偽物の草木の時点でガーデニングじゃないし。十代の感性は理解出来ないけど、さすがにこの部屋の有り様は十五歳の女の子には似つかわしくない。
 とりあえず電気を付けようと振り返るとドアからの光が人影に遮断される。
 逆光で顔が判然としない。仲村由基雄?違う?誰…?
 私は身動きが出来ない。口はパクパクと息を漏らすばかりで声が出ない。
 何?何なの?
 影の両足の向こうに誰かが倒れている。
 あれは、…雀尊!?
 私が動き出すより早くドアは勢いよく閉められる。
 ドアに駆け寄りドアノブを探るとガチャリ、私を拒絶するように小さくて大きな音が手のひらに響く。
「ちょっと!開けて!雀尊!仲村さん!ちょっと!」
 力の限り叩いてみてもドアは思ったより厚くビクともしない。これがハリウッド映画なら拳銃でドアノブを吹っ飛ばすんだけどそんなもん持ってるわけもないから足の裏で思いっきり蹴り込んでみるけどスーンと反動もなく私は立ち尽くす。

 閉じ込められた。

 完全なる私のミス。零人を待たずに一人で動いたからこうなるんだ。私一人でも出来る。そんな甘くなかった。零人の登場なくして双子探偵チョコレートは成り立たない。
 そんなこと言ってる暇があったら動け。零人ならそうする。
 後悔は先に立たないし現実に私は今由里音の部屋に閉じ込められている。
 窓から出るしかない。
 あの丸い天窓には届かない。どうする?
 その前に明かりだ。
 私は壁に身を寄せ手探りでスイッチを探してみるけど、ない。それならば照明から垂れた紐があるはずと宙をかいてみるけど、ない。
 ない。
 ならば携帯のバックライトで…とポケットを探って気付く。
 携帯は車に置いたままだ最悪。
「最悪っ」
 声に出してみるとますます気分も最悪になってきて、手探りで周りの蔦を引き剥がしてみる。幾重にも重なった蔦の奥、三角の部屋の鋭角の先にぼんやりと光が零れているのが見える。
 光?
 私は体を屈めて蔦を押し退ける。
 そこにあったのは電源の入ったノート型パソコンでモニターには平仮名が三つ並んでいる。

『しちし』

 しちし?
 まただ。私はモニターの明かりに照らされたキーボードから文字を手繰る。仲村由里音から届いたメールに書かれていた『きすにもも』。その平仮名をキーボード上で対応した英字に置き換えると『GRIMM』になった。同じパターン。
それなら『しちし』は?
〈し〉には〈D〉が、〈ち〉には〈A〉が配置されている。
 私は三つの英字を繋げる。

 DAD

 お父さん?
 仲村由基雄?
 それとも?

 ・・・どういうこと?
 

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