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これまでのあらすじ

チョコレート探偵事務所の双子探偵、零人(れいと)と千夜子(ちよこ)。
ある日、零人の元には屈木井九好(くつきいくすき)、千夜子の元には仲村由里音(なかむらゆりね)という別々の失踪事件が依頼される。
関連のない二人の女性には、同じ『お菓子の家への招待状』が届けられていた。

仲村由里音の家で何者かに襲われる千夜子。一方零人が目にしたのは幼い頃から自分たちを育ててくれた赤尾マスの無残な姿だった・・・。
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零人-21

 零人は八文字アリスを押し倒すと、左手で彼女の右手を押さえ付け、右手でその体をまさぐる。乳房を揉み、ショートパンツの上から尻を鷲掴む。強引に唇を奪い、舌を捩じ込み、口内を舐め回す。徐々に脹らみ始めた股間を彼女の太股の間に・・・なんて事はしない。
 八文字アリスは原始人顔で赤尾マス殺しの犯人。挙げ句、今は零人自身の命を狙っている。
 何処をどう取っても色っぽく展開する話ではない。
 とは言え、零人が八文字アリスを抱きすくめ、押し倒したのは事実。
 応接机やソファーをいとも簡単に切り裂いた八文字の攻撃方法は特殊加工された糸による斬撃。糸による斬撃の理屈は幾つかある。そして、そのどれも基本にあるのは糸の張り、テンションだ。ならばそのテンションを殺す間合いへの接近と、それを操る右手を捉え封じるのは、防御策としては最良の筈。
 と言ってこの状況・・・いつまでも続けていれるモノではない。
「うぎぎぃ」なんて呻き、零人の束縛から逃れようとする八文字はグネグネと体を捩らせる。
 それは、まるで巨大な爬虫類の様で、その力は尋常ではなく、いずれ振り払われてしまうだろう事は零人本人にも容易に判断出来た。
 考えろ。何か・・・何かないか?この状況を打開する方法。
 取り敢えず先手は封じたのだ。次はこちらの番なのだ。
 しかし、この寝転がった体勢からの殴る蹴るの攻撃は効果が望めない。
 ならば、何か武器を・・・。
 重い物は駄目だ、左手で八文字の右手を押さえたまま、右手一本で使える武器・・・。
 零人は首を上げ、辺りを見回す。
 その瞬間。
 ・・・!!
 八文字がブリッジの要領で体を反らす。
 ブワリと零人の体が宙に浮き、八文字の隣に転がる。
 その勢いで横に伸びた零人の右手が何かに触れる。
 確認する間もなく、半ば条件反射的にそれを掴む。
 布?
 感触から判る。布だ。そして、これは恐らく、右手一本で扱える。
 零人はその布を思いっ切り八文字の顔面に叩き付ける。
 が、ブワサッ・・・と、布は空気を孕み広がり、勢いなく八文字の顔に覆い被さる。
 それが八文字にどれ程のダメージを与えたかと言えば、恐らくは無。でも、その行為は無意味ではない。
 不意に布が顔に被さるという出来事に、八文字は少なからず仰天し、そこに隙が出来た。
 零人はすかさず体を起こす。
 布の正体を確認する。
 ジャケット。
 それは零人のジャケットだった。
 零人は右手を素早く引寄せ、それを八文字の顔から引き剥がす。と、同時にその場を飛び退き、いまだ寝転がり事態の把握に手こずっている八文字の頭上へ回り込む。
 それは、一瞬の行動。
 恐らく、突然ジャケットを引き剥がされ、視界の開けた八文字には、瞬間、零人が消えた様に見えた筈だ。
 しかし、これはただのその場しのぎ。咄嗟の奇策。大切なのはその次の策。
 零人はジャケットのポケットに手を突っ込む。そしてそれを取り出す。
 数個あるポケットの中から一発でそれを見付け出せたのは、ただ単純な幸運だった。
 だが、故に、零人は感じる『運は俺に向いている!!』
 立ち上がり体勢の立て直しに掛かっている八文字に、零人は死角から飛び掛かり、その顔面にジャケットのポケットから取り出したそれを押し付ける。
 ハッとした様に、八文字の手が零人の腕を掴む。
 零人は構わず、それをより強く八文字の顔面に押し付ける。
「ぎっ!」八文字が鋭く悲鳴を上げて一瞬体を硬直させる。そして零人の腕を掴む力を強める。が、もう遅い。
 これが幸運の差だ。
 八文字の顔面に押し付けられたそれは、零人の予想通りの形状をしていて、零人の予想通りに働いた。
 それは八文字の悲鳴と一瞬の硬直で判った。
 零人は八文字の後頭部を押さえ逃げ場を奪い、より強く捩じ込む様にそれを押し付ける。そして、最後にそれを擦り付ける様に思いっきり横に引く。
 ゾリッ・・・っとした不快な感触。
 八文字が「ぎぃいぃぃーー!」と叫び、仰け反り、顔を両手で覆う。
 八文字の顔を覆った両手の隙間から、ポタポタと血が垂れる。
 零人は八文字から身を離すと、それを床に落とす。それは銀色の、今は八文字の血で真っ赤に濡れた、腕時計。八文字が探偵事務所で壊した零人の腕時計だ。
 硝子が砕け、ネジやバネ等の機械部分が細かく鋭利に露出した文字盤には、ゴッソリと八文字の顔面の血や肉片がこびり付いているだろう。
 確認するまでもない、と言うか、わざわざ見たくもない。
 と、零人は血みどろの顔面を押さえ「あうっ」とか「ひっ」とか声を漏らし、のたうっている八文字に向け駆けると、その勢いのまま彼女の胸にブーツの踵を当て、蹴り押す。
 八文字は一、二メートル後方に吹き飛び、数歩足踏み、その勢いで後頭部から窓硝子に突っ込んだ。
 窓硝子が砕け大小様々な多角形の破片に変わる。
 八文字がその破片達と共に窓の外に消える。
 落ちた・・・。
 そう思った。
 そうだ、ここは確か・・・地上五階。
 零人は硝子の砕け落ちた窓から階下を見下ろす。窓の下は真っ直ぐに地面に繋がっていた。
 その地面は、恐らく砕けた硝子の破片が陽光を反射しているのだろう。キラキラと綺麗に輝いていた。
 そしてそこに、八文字アリスの姿はなかった。
 が、彼女がそこへ墜落して絶命した事は明らかだった。そこにはそれに見合うだけの赤い痕跡が広がっていた。そして、そこに広がる物は、この高さからではハッキリと確認は出来ないが、八文字の血液だけではない様に見えた。それが何なのかは零人には分からなかった。だが、その血液に混じり撒き散らされた八文字アリスの何かが、彼女の死を決定付けていた。

 チャッチャラーラ、チャッチャラーラ、チャララララーラ、チャラッチャ・・・。
 突然の聞き慣れたフレーズに、零人はビクリと振り返る。
 その音の独特な軽薄さから、それが携帯電話の着信音である事は直ぐに判った。
 鳴り続ける有名なチョコレートのCMソング。
 零人は室内を見回し、その音源を探す。
 室内は八文字アリスとの乱闘で酷く散らかっていたが、元々物のない殺風景な部屋だったので、それは直ぐに見付かった。
 むしろ、何故今まで気付かなかったのかと思える程に、堂々とその携帯電話は、その部屋の隅に設置された洗濯機の様な巨大なミキサーの上に置かれていた。
 茶色い携帯電話。
 零人はそれを手に取り、ディスプレイを覗く。
 ディスプレイには『セバスチャンスピーカー卿』の表示。
 零人は通話ボタンを押し、携帯電話を耳にあてる。
 一瞬の沈黙の後、声が聞こえる。
「・・・もしもし・・・ああ、良かった。漸く繋がったた。何度もかけたんですよ。それにしても、時間が掛かりましたね。アナタならもっと早くにここへ辿り着けると思っていたのに・・・でも、まぁ、辿り着けたのだから、良しとしましょう」
 小さく、キシ・・・と、プラスチックの軋む音がする。
 携帯電話を握る手に思わぬ力が入る。
「では、早速ですが、アナタを今から『お菓子の家』に案内します。招待状は用意してませんが、問題ありません。アナタなら顔パスです」
 零人は何か言おうと口を開いた。しかし、言葉なんて何一つ出て来やしなかった。
「そこからの道順は分かりますよね?」
 道順?
 そんなモノは見当も付かない。
 いや、そんなモノはどうでも良い。
 そんな事よりも今は、先ず・・・。
 そんな事よりも他に、先ず・・・。
 ・・・言葉が、出ない。
 何を言いたいのか、何を言うべきなのか、それは分かっている。
 でも・・・言葉が出てこない。
 言葉なんて・・・出て来る筈がない!
 こんな・・・こんな・・・こんな!!
 零人は堪らず携帯電話を右手から左手に持ち変え、右手の小指を、口に含む。
 関節一つ短いその指を、噛む。きつく。プンッ・・・。皮膚の裂けた感触。痛み。鉄の味・・・。
「お前・・・お前なのか・・・」
 零人の口からザラザラと掠れた声が漏れる。
 途端、小指の噛み痕から大量の血液が噴き出す。それは零人の口内を満たし、遂には唇の端から溢れ出す。ダラダラと顎を伝い、シャツを汚す。
 そして電話は「それでは、心よりお待ちしております」と言い残し、プツリと呆気なく切れた。
 零人は慌てて、不器用な左手で携帯電話のボタンを手当たり次第に操作し、再度回線を繋げようと試みた。が、それは繋がる事はなかった。
 右手に持ち直し、キチンと冷静に操作しようかとも考えたが、小指の出血を考えると、それは叶わない事だと容易に判断出来た。それに、何よりその携帯電話のディスプレイの左上に表示された『圏外』の文字が、回線の遮断、つまりはその携帯電話の死を報せていた。
 零人は一度大きく息を吸い、脳に酸素を十分に送り込む。
 冷静になろう。
 ・・・さて、考えなければ。これからの事を・・・落ち着いて・・・。
 回線は遮断された。
 手掛かりは途絶えた。
 いや、違う。考える事はない。考える事なんて何もないんだ。これからの事は既に決まっている。
 俺は『お菓子の家』へ招待されたのだ。
 道順?
 そんなモノは見当も付かない。
 そんなモノはわかる筈がない。
 そんなモノは・・・最初からありはしないのだから。
 それは、既に解いた謎だ。
『思う場所に思う時間』がそうなんだ。
 零人は目の前の洗濯機の様な巨大なミキサー、赤尾マスをミンチにしたであろうミキサーの蓋を開ける。
 ガコン。
 蓋は簡単に開く。
 中を覗く。
 そこには、穴が開いていた。
 真っ暗と言うより真っ黒な、深さや底と言った概念すら感じさせない、ただ何処迄も続いてそうな黒い空間。
 その中から温度のない甘い風が吹き、零人の前髪を揺らした。
 その甘い香りは・・・。
 零人はグイっと、その穴に身を乗り出す。
 チョコレートの香り。
 右手の小指の出血は、シタシタと止まる気配もなく床を汚す。
 零人はそのまま、穴に頭から潜り込む。
 そしてスッポリと闇に包まれる。

 大丈夫、心配ないさ。
 もし道に迷っても、この血の跡を辿れば、又ここへ帰って来れるから・・・。

≪第一章『零人』 了≫
 
 

千夜子-21

「ここまでっす」。蒼井琴璃は笑顔のまま言う。「あたしはここまでっす」
 琴璃が笑顔を固まらせたまま頭を垂れると辺りがしんと静けさを取り戻す。
 目の前にあるのは仲村由里音の部屋だ。
 室内に人工の森が広がる仄暗い部屋にあったノートパソコン。そこに示された《しちし》=《DAD》の暗示。そこから私は《記憶の宮殿》と呼ばれる意識に入り込み、そこでセバスチャン・スピーカー卿と出会った。現実に戻ると赤尾マスが何者かに殺されていた。
 で?
 で、どうなった?
 事態は何も進展していない。最初に仲村由里音捜索の依頼を受けて以来、何一つ進展している事態はないのだ。
 ただ物事が枝分かれに広がり、登場人物が増え、それらに私の思考が翻弄されているだけなのだ。そのどれもに全く収拾のつく気配すらない。放り投げられた事柄が支離滅裂に存在している。
 どうすんだよ、この状況。どうにかする糸口とか用意してあんのかよ。
 私は誰ともない《誰か》に語りかける。
 物事なんて人それぞれの捉え方次第だったりして、現状を進展とも後退とも解決とも捉えられる。いや、解決はしていない。仲村由里音ちゃん見つからないし。仲村由里音ちゃんいないし。
 いないし。
 ひょっとすると仲村由里音ちゃんなんて最初からいないのかもしれない。仲村由基雄も瀬戸内雀尊も赤尾マスも……。「元々ばあちゃんなんていねえ」。私は《記憶の宮殿》にいた零人の言葉を鵜呑みにするまいと思いつつも完全に影響を受けている。そしてそう言う零人だって元々いないのかもしれない。
 実は事件も人物も存在せず、病院のベッドに植物状態で横になったかわいそうな千夜子ちゃんの頭ん中の、全ては動くことすらままならない千夜子ちゃんの願望的な、最終的には病床の千夜子ちゃんが奇跡的に意識を取り戻して万々歳!良かったね、はい本当は夢オチ~!
 そういうのは逃げ口上だからね。
 私は再度《誰か》に釘を刺す。夢オチを禁じ手にする。
 本当は何も起きていないなんて茶番なのだ。物語を構築するのであればそれ相応の準備と覚悟が必要なのだ。
 あるんだよね?
 適当に物語散らかしてんじゃないよ。
 面白い展開だとか奇抜な推理だとかそんな必要はない。現実は《そこ》に存在し、進行し、流動している。物語は現実を追い越せない。事実は小説より奇なり、なり。事件は現場で起きているんだ。聞こえているのか、《誰か》さん?
 なんて。茶化してしまうとまた物語がぶれる。
 だから私は展開させる。
 私の物語を展開させるために仲村由里音の部屋のドアノブに手を掛ける。永いこと誰も触れていなかったような冷たさがすんと伝わってくる。
 この先には待望の《新たな展開》が待っている。物語は《第一章》を終え、《第二章》を迎える。
 だよね?
 私はノブを回し、開け放つ。

 そこには森なんてない。

 そこは真っ白な部屋。白い壁、白い床、白い天井。何も無い、無の白い空間。
 そこに文字が浮かんでいる。正面の壁に赤茶色の文字が書かれている。

 CHOCO
  LATE


 チョコレート。
 その上に一際大きく《×》と書かれている。
 千夜子《×=かける》零人ということなのか、それとも千夜子と零人、つまりはこの双子探偵を否定する意味での《×=ペケ》ということなのか。どちらにせよ、これは私に対するメッセージだ。そして赤茶色のメッセージからは微かに甘い香りが漂う。そう、これはチョコレートで描かれているのだ。
 ポケットに突っ込んでいた携帯電話が鳴る。無の空間においてはそのバイブレーションが音として鳴り響く。
 液晶には何も表示されていないけど私にはそれが誰か分かる。
 でも、…どうする?
 通話ボタンに指をかけたところで私は躊躇する。そこで気付く。分かる。この躊躇が私の思考を進ませる。
 千夜子《CHOCO》が遅れた《LATE》ってことか。私はここまで全てにおいて常に《LATE》、つまり遅れている。その《遅れ》が事態を複雑化している、イコール《×》、ペケであるのだ。
 後手に回るのはやめよう。ここからは先手を取っていかなくては。
 通話ボタンを押し、携帯に耳を寄せると予想通りの声がする。

「おかえり、ここがSupreme Sweets Sanctuary、お菓子の家だよ」

 その声の穏やかさに目尻に涙が溢れてくる。
 声と同時に目の前の『CHOCO×LATE』の文字が動き出す。違う。文字だけでなく、壁自体が動いている。白い壁がゆっくりと上方にスライドしていく。
 幕が上がっていく。
 そこには扉がある。
 扉には『Ⅱ』と刻まれていて、私は「ご丁寧に」とひとりごちて笑う。あからさますぎる。私はまだ、笑う。
 扉に手を掛ける。今度は躊躇うことなく、扉は力一杯に開かれる。

 この先にあるのは物語の《中心》だ。
 さて、この物語の《中心》に何があるのか。《中心》で何をするべきなのか。

 とりあえず、愛でも叫んでみようかしら?

 愛は叫ぶもんじゃなくてもっと奥深くにたゆたうものなんだけど、今の私は冗談じゃなく叫んじゃっても全然構わない気分なのだ。
 私は臆することなく《中心》に向かって歩き出す。
 ねえ、零人、あなたに逢える気がするよ。


≪第一章『千夜子』 了≫

 
 

零人-20

 大仰な音を鳴らし、真っ二つに別れた応接机が床に落下するのを、ソファーの後方に背中で着地しながら耳で確認し、零人は間髪入れずに、両足と背中のバネをフルに使い、ソファーを八文字アリスがいるであろう方向へ蹴り押す。
 ソファーの行方は確認もせず、零人はまたも間髪入れず、今度は後方に三、四回転でんぐり返り、身構える。
 そして、そのまま、立て膝の状態のまま、八文字アリスに目をやる。
 悠然とソファーに腰掛けた八文字アリスの前には、真っ二つに別たれた応接机と、これまた、応接机同様に八文字アリスが斬ったのだろう、真っ二つに別たれたソファー。
 八文字アリスが立ち上がる。
 スラリと伸びた手足、真っ白い肌、下着か水着と言っても過言ではない程に面積の小さなショートパンツとカットソー。
 つくづく思う・・・状況がこんなバトルな状況でなく、八文字アリスがあんな原始人の様な顔でなかったら・・・と。
 零人は八文字アリスに合わせて立ち上がり、右足を半歩引き、目は八文字アリスから逸らさぬ様にし、上半身は右半身を軽く後方に引き、少し背を曲げて、両の拳は顎の前辺りに配置。
 武術の心得等一切無いが、一応、少なからずの威嚇と牽制。
 ・・・さてと。
 この威嚇と牽制の効果の程は取り敢えず置いといて・・・八文字アリスが如何にして、あの応接机やソファーを真っ二つに斬り裂いたかを知らなければ・・・。
 戦うにも、逃げるにも、先ずは相手を知る事。
 それは、赤尾マスに教わった。
 各種格闘技から武術に気功、礼儀作法にお茶にお華、合わせてウン十段って程のスーパー婆、赤尾マスに・・・あっ。
 零人は危うく出しそうになった声を堪える。
 そうだった、コイツが赤尾マスを殺したのだ。この八文字アリスが・・・もう一度言うけど、各種格闘技から武術に気功、礼儀作法にお茶にお華、合わせてウン十段って程のスーパー婆の赤尾マスを、殺したのだ。
 零人は危うく漏れそうになる溜め息を堪える。
 完全に失念していた・・・いや、むしろ、その事は考えてもなかった。
 そうなのだ、八文字アリスは、そのレベルの人間なのだ。
 しかも・・・。
 挙げ句、零人は大変な見誤りをしていた。
 八文字アリスからセバスチャンスピーカー卿を引っ剥がせば、八文字アリスは壊れる。それで勝負は着く。俺の勝ち・・・そう思っていた。
 が、間違っていた。
 八文字アリスからセバスチャンスピーカー卿を引っ剥がし、八文字アリスを壊す事は・・・八文字アリスを切れさせる・・・つまりは、八文字アリスのリミッターを解除する事だったのだ。
 甘かった。
 完全なミスだ。
 最初から分かってた筈だ。赤尾マスを殺したのが八文字アリスなら、その実力位、最初っから想像出来た筈だ。
 なのに、何故警戒し、前以て対策を準備していなかった。とんだ間抜けだ。とんだドジだ。
 これは、大元からの大失態だ・・・なんて、愚痴ってもいられない。
 事は急を要する。
 次の手が来る前に・・・あの応接机やソファーを斬り裂いた技が、自分に向けられる前に、その正体を・・・。
 零人は、八文字アリスの身体に視線を這わす。
 八文字アリスを探る。
 何だ?何を使った?何を使い、何をした?
 応接机やソファーを斬り裂く手段。
 刀?
 それなら、見て判る。
 八文字アリスはそんな物を持ってはいない。
 仮に隠したとして、そんな大きな物をどこに隠す?
 なら、掌や衣類や何かに隠せる大きさのナイフ?
 斬れるか?ナイフで。簡単に隠せる程度のナイフの刃渡りで・・・。
 では、もっと別の・・・。
 例えば?
 例えば、レーザーやビーム的な・・・。
 飛躍し過ぎだ。
 ふと、赤尾マスをミンチにした巨大ミキサーが頭に浮かんだが・・それでも、さすがに、ビームサーベルにレーザー銃は飛躍し過ぎ。
 他に・・・。
 手刀?
 足刀?
 まさか、そんなの、まるで漫画だ。
 零人は思い出す。
 あの時の・・・あの、応接机が真っ二つに斬られる前の八文字アリスの行動。
 右手で左の肘辺りを、擦る様な、摘む様な・・・。
 右手・・・。
 そして零人は見付ける。
 右手の人差し指の第一関節と第二関節の間の不自然な場所に嵌められた、よっぽど注意して見ないと見過ごしてしまいそうな程に細い指輪・・・いや、違う。指輪じゃない・・・アレは・・・。
 零人の視線に気付いたのか、八文字アリスが右手をピクリと動かした。
 と同時に、八文字アリスの右手の人差し指の先から、光の線がスッと流れた。
 ・・・糸?
 間違いない。この距離、八文字アリスの攻撃を警戒して零人が取った三、四メートル程の間合いからは、はっきりとは視認出来ないが・・・確かに、それは八文字アリスの右手の人差し指に結わえ付けられ、緩い螺旋を描き床に伸びている・・・糸。
 それで、斬ったのか?
 応接机を・・・ソファーを・・・。
 聞いた事はある。
 そういう技。
 そういう武器。
 特殊な加工を施した極細の強化ワイヤー。締める、縛るだけではなく、斬る事も出来るという・・・。
 それに糸なら、どれ程面積の小さな衣類にだって容易に隠せる。
 ・・・いや、あの仕草。あの、右手で左の肘辺りを擦る様な、摘む様な仕草を思えば・・・身体か・・・八文字アリスは、己の身体の中に、あの糸を・・・。
 つまりは、そういう事か。
 つまりは、そういう者か。
 八文字アリスは・・・つまりは、そういう類いの者だったという事。
 それに気付くやいなや、零人は八文字アリスに向け一気に駆け寄る。距離にして僅か三、四メートル。ものの一瞬で零人は八文字アリスにたどり着く。そして、抱き着く。両腕で強く八文字アリスの背中を抱き締め、脚を絡ませ、腰を押し付け、頬を寄せる。
 
 一瞬、八文字アリスの体が緊張するのが分かった。
 
 

千夜子-20

 仲村由里音の家を前にして「あれ?」私は違和感を覚える。
 外壁も門扉も見上げた屋根も、外観には何ら変わりはないけど、どこか以前とは違った雰囲気/威圧感を感じる。
 でもその感覚は拒絶よりか歓迎、とまではいかなくとも好意的に私を迎えているようであって、でもやっぱり底辺からもや~っとした恐怖心が立ち上ってくるようで私は確信する。
 やっぱりここなんだ。
 蒼井琴璃は半開きの門扉を開けて入っていく。その制服の背中に向けて意外な言葉が私の口をつく。
「…ごめんね」
「はい?」とドアの前で琴璃が振り返る。「何か言いました?」
 私は頭を振って「あ、いや、何でもない」と応えるけど分からない。何で謝ってんの。何が、どう「ごめんね」だというんだろう。
「行きますよ」
 玄関に鍵はかかっていないらしく蒼井琴璃は玄関を開け、家の中に入っていくので私も続く。
 邸内に入るとなぜか足がすくんだ。この違和感は何だ。周りを見渡しても別段変わったところがあるわけでもない。
「何ぼ~っとしてんですか?」
 見ると蒼井琴璃はすでに階段を二階近くまで上がっている。私を見下ろす少女は黒のローファーを履いたままだ。
「あ、靴」
「いいんですよ、これは」と平然と言い放つ。「そんなことより私たちはぼ~っとなんてしてらんないんです。時間なんて『ぼ~っ』としてるうちにその『ぼ~っ』を倍速で追い越して、その倍速の『ぼ~っ』のことを考えているうちにさらに倍速で時間は私たちを置き去りにしていくんです。何を躊躇ってんですか?千夜子さんがぼ~っとしてるうちに四、五カ月なんて一瞬に過ぎていくんですよ」
 何それ?全然分かんないんだけど。
「千夜子さんが一歩目を踏み出すか踏み出すまいかってしてる間にあらゆる事象は千夜子さんを追い越しちゃうんです、っていうかもう追い越されてるし、なんなのもう!」
 なんなのもう!はこっちの台詞だ。
「あ~じれったい!今何月か分かってんですか?」
 …はい?
「二月ですよ」
 …え?十月じゃないの?
「だ~か~らっ!分かんないかなぁ。ここは二月なんですよ、千夜子さんの知っている、あの二月なんです!」
 私はそこでようやく口を開く。
「…あなたは一体誰なの?」
「私は蒼井琴璃、名前のまんまの青い小鳥、千夜子さんが幸せか幸せじゃないのかどう感じるか分かんないけど、私にはそんなこと知ったこっちゃないけど、私はあなたを導いてあげるの、そういう役割」
 そう言うといきなり蒼井琴璃のスカートの中から大量の鮮血が噴き出し、バランスを崩した琴璃は階段を転げ落ちて来るけど血まみれなんて気にしない顔で悔しそうに呟く。
「やべえ、思ったより時間ないじゃん、何だよも~~~!」と琴璃は私の手を掴んで引っ張る。「早く!」
 ようやく私の体は動き出す。靴を脱ごうとすると琴璃に「だから靴はいいんだって!」と急かされる。
 何があったの?
 何で怪我してんの?
 ひょっとして蒼井琴璃ちゃんもすでに犯人に襲われたってわけ?
 それを隠してまで私を待っていたってわけ?
 私を導くために。
 どこに?
「考えてる時間なんて本当ないんだから、くそっ!痛えし!もうちょいなんだからね、がんばれ私!」
 鮮血を垂れ流しながら階段を上る蒼井琴璃に気圧され、私も靴のままガシガシと赤濡れた階段を琴璃に続く。
 琴璃はそのまま階段を三階まで進んだ。琴璃から流れる赤が一段一段と血溜まりを作り出している。私はそれを目で追いながら一歩一歩足を繰り出す。まるでヘンゼルが落とした白い小石を頼りに家路に着いたように。時折明かりを反射する血溜まりを見ながらそんなことを思う。
 これが童話ヘンゼルとグレーテルなら私の行き着く先にあるのは魔女の住むお菓子の家だ。
 でもここにはヘンゼルがいない。
 グレーテルはたった一人で魔女にどう対峙したらいいのかな。

 考えるな。
 置いて行かれる。
 そんなの、嫌だ。

 そうして私は三階にたどり着く。
 すると蒼井琴璃は糸が切れたようにすとんとその場にへたり込んだ。
「琴璃ちゃん!大丈夫?」
 琴璃は私に応えず虚ろな目で一点を見つめている。
 その視線の先にあるのは仲村由里音の部屋のドア。
 やっぱりそうなんだ。
「ここ?」
 肯定とも否定とも取れない無表情で私をみつめる琴璃の口元が微かに動く。
「…ぁ、…ぁん…」
「何?」
 私はその小さな唇に耳を寄せる。

「…ハッピーバレンタイン」

 そう言うと蒼井琴璃は今度は力強くにっこりと笑った。
 

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